時代と間取り
こんにちは。
もう衣替えの季節となりました。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
今年の冬は去年のように、人を避けながら過ごさなくてもよくなるのでしょうか。
ワクチンも多くの人が受け、かくいう私も二回接種を終え、コロナに対する恐怖心も多少は和らいだと思いたいです。
2年が立つコロナの影響か、久しぶりに接触する人々が大きく変化していることが多い印象があるので、人との距離感が難しくなりそうだと思っています。
早くおわってほしいと思うばかりです・・・。
今回は、間取りの変化について。
時代の変化と共に、住む空間も変化しています。
人の歴史と家の歴史は同じですから、より文化圏ごとに変化が生じます。
特に日本は昭和初期まで外国文化を積極的に取り入れてこなかったこともあり、ここ100年ほどで住宅の間取りが大きく変わりました。
その変化から、どうして間取りが変化していいいたのか、間取りの制作の参考になるかもしれません。
大きく変化した時代をピックアップしてみていきましょう。
まず、庶民が自宅を持てるようになったのは明治以降といわれています。
それまでは幕府をトップとした武士の時代、しかし武士は全体の7%とかなり少数であったといわれています。
国民のほとんどが百姓(農民)であったことから、当時はかなりの各社社会であったということが分かりますね。
農民といっても現代の農業者とは比べるべくもなく、資産を持つことはできず、地主にやとわれて農地開拓を行う人がほとんど。
当然自宅なんて持っていません。百姓のほとんどは地主のもつ小屋や貸家などで生活していたといい、間取りなどない本当に「小屋」のようだったと言います。
一方地主や武士、承認等には自宅があり、現代のように衣食住をそこで行っていたことから、当時の生活に合わせた間取りが今なお残っています。
武士にも階級があり、下の位のものは農民とあまり変わらない生活であったといわれていますが、その当時に一般的であったのが「民屋」と呼ばれる住居です。
平屋がスタンダードでしたが、商人などは二階を設けることもあり、日本の多湿環境に適した素材・間取りであったといわれています。
また、戸建ての民家をもつ人は少なかったので、ほとんどの人は長屋に住んでいたといいます。
長屋は現代のアパートのワンルームのようなもので、玄関と炊事場を1部屋に収めたようなところで、現在も古い街並みを残すところでは使われていたりもします。
現代人には考えられないような狭さで、なんと4畳~6畳の空間に家族数人が住むといった環境でした。寿司詰めですね、、、。
トイレは共同で、お風呂は自家に普及したのは昭和になってからですので、戦闘か蒸し風呂を利用していたといいます。
間取りといっても、人が快適に過ごせるようにという理念のもとではなく、あくまで「住める」が最低ラインにある為、このような環境でも問題なかったのでしょう。
もっとも一軒家持ちはちゃんと家らしい間取りと大きさになっています。
仕切りは全て障子や襖で区切られている為、廊下以外は同じような空間が続くようにできています。また、厠(トイレ)が外にありました。
玄関が独立しているところもありますが、台所と土間が同じ空間にあることが多かったらしく、この形がスタンダードとなるようです。
明治時代以降、時代と文化は大きく変化しましたが、住宅のありようはあまり変化しませんでした。
変化といえば、上水道の整備がされはじめ、家の中にトイレが作られ始めます。
また、書斎や客間などの他者を招くことを想定したつくりなどもチラホラ出てきます。
大きく変化するのはやはり戦後、昭和の時代あたりです。
昭和時代は、戦争によって多くの建物や住宅がなくなり、また日本古来の建物が焼失しました。
現代まで残っている建物はその戦果を幸運にも残った貴重な資料であるということになりますね。
戦後の高度経済成長期、一般家庭でも持ち家を建築する人が急増。
外国の資材や建築技術を利用し、今までよりも早く、安価に家が建てられるようになったのです。
ここから、現代の家と近しい部分が増え始め、より家として完成していきます。
具体的にはLDKの導入、風呂場の設置、玄関の独立などが起こり、各空間をはっきりと分けるようになります。
洋室が導入されている住宅も増え、フローリングの文化が取り入れはじめまた、断熱等の中の環境を整える要因を取り入れ、性能を補助する工夫もこのころより生まれました。
これはとても大きな変化であり、各家ごとに間取りが大きく異なってくるのも特徴的になりました。
昭和初期~中期の住宅は敷地含め現代住宅より大きいことが多いです。
当時は土地も未開発地が多く、土地自体今よりも安かったこともあり、広く大きい家を作れたといわれています。
そのことから、用途も単身世帯ではなく、二世帯以上が暮らすような使用が多く、改築や増築が多かったよくされていたそうです。
イメージとして、サザエさん一家の家や、ちびまる子ちゃんの家などが二世帯使用の昭和住宅ということになります。
磯野家(サザエさん)
引用元:https://www.homes.co.jp/cont/living/living_00190/
さくら家(ちびまるこちゃん)
引用元:https://www.homes.co.jp/cont/living/living_00246/
例により4~5LDKの家が多く、長い廊下をもうける作りでした。
しかし、昭和後期バブルの中。
暮らしが変化し、住宅もそれをたどっていきます。
大きかった家は3~4人が住める大きさへ、土地も郊外の広い土地から利便性のある土地を探す傾向にシフト。
核家族がより暮らしやすい3~4LDKの間取りが増えました。
このころより、ハウスメーカーが大きくなり、全国でパッケージ住宅が販売されだし、安定した供給を生むようになります。
間取りの変化はもう現代とそん色ない、基盤は同じ間取りへと確立されていきました。
しいていえば、リビングとダイニングを分ける趣向がこのころよりなくなり始めたくらいでしょうか。
昭和住宅に多い、ダイニングキッチンとリビングを分けてある部分がなくなり、LDKとして一体化されていき、大空間が人気となります。
生活の基盤がリビングルームへ移行し、リビングの大きさに惹かれる人が増えます。
そしてリビングを吹き抜けにする、廊下を極力無くし部屋を広くするという工夫の元、現代の間取りに変化していきました。
こうした間取りは、すこし江戸時代や明治ごろの障子や襖で区切っていた時代の間取りを少しほうふつとさせるかと思います。
そのころの間取りには廊下は少なく、大きい空間を複数に区切ることで部屋としていたので、これらを開け放つことも可能でした。
いわばLDを自在に変更でき、部屋数を少なく収めることができる点、無駄なく空間を使用できる点は少し似ている部分があると思いませんか?
実は、現在の住宅に引き戸が採用されるパターンて結構多く、ドアの可動域をデッドスペースにしなくてよいという点から使用されています。
廊下がなくていいことは、生活動線を家族で共有できるということに言えます。
住んでいて、家族で顔を合わせる機会を増やすことは大切な要因の一つです。
移動する際に必ず顔が見えるように、だれかと話す機会があるようにというのが最近よく言われます。
部屋と部屋を完全に分離しない形であればそれが可能であり、廊下はそれを阻害する要素になりますので、最近少ない傾向にありますね。
時代の中で必要とされた形に変化していくのが間取りです。
そしてむかしの技術と現代の性能を取り入れ、効率的に進化していくことがわかりました。
今のニューノーマルもまた、新しい形態に変化している最中です。
そして変化している中で、新しいもの、昔の技術を踏襲していくことで対応していくのかなとも思います。
是非、ご自身の実家や祖父邸を見てみてください。使いやすさや、その当時の工夫もありますので、勉強になる部分がきっとあるでしょう。
それでは。